
「いつか来る幸せ」というお伽話からの脱却
「いつか白馬の王子様がやってくる」というお伽話と同じように、私は長い間、「この苦労の先に、幸せが待っている」「その域に達するまでひたすら進むべし」と信じてきたことに気づく。
決して他力本願な性格ではない。だが、どこか先にある「境地」のようなものに到達できれば、自ずと幸せになれる気がしていたのだ。人生の途中からは、「子供の幸せこそが私の幸せ」と、自分の幸福を直接考えることはなく、外側に置いていたようにも思う。
心のシステムは運用していくもの
最近、パートナーのhiroが提唱する「Kokoroの貯水槽モデル」の説明を受けた。最初は違和感があったのだが、自分の心をモニターし続けるうちに、心は固定された境地ではなく「確かに“流動的なシステム”だと考える方が説明がつく」と気づいた。
かつての私が持っていたイメージは、kokoroの貯水槽モデルにあてはめると、頑健な建屋や循環システムを「いつか完成させること」だった。しかし、システムは完成して終わりではない。管理人として幸福のために、プロアクティブ(主体的)にメンテナンスし続ける必要があることを、私は理解していなかったのだ。
この「心の捉え方」の正体は、『【KOKOROの貯水槽モデル】幸福は「探す」ものではなく「建築」するもの』に詳しく記されている。そこには、心をストレスから守る「シェルター」や、感情を叡智に変える「濾過装置」など、私たちが自分らしくあるための具体的な設計図が示されている。かつての私のように「いつか幸せになれるはず」と立ち止まっている人にこそ、このシステム運用術という視点に触れてほしいと思う。

次世代へ繋ぐ「心の整え方」
振り返れば、水が濁った時も、ヘドロが溜まったような時もあった。もっと早くこのモデルを知っていれば、もう少し冷静に自分の心と付き合えたかもしれない。だが、「まぁ自分は、今こうしていられるからイイや!」と思えるのも、歳を重ねたからだろう。
今、この視点を若い人たちに伝えていくことで、彼らが直面する困難を少しでも軽やかに乗り越える手助けができればと願っている。(心からそんなことを願えるのも、歳を重ねたからだろうと思う。)
