
はじめに
多くの人が同じ症状に捕らわれていると感じます。「日本の未来を決める大切な一票だ」と言われても、投票用紙を前に手が止まってしまうのです。それは私が政治に無関心だからではありません。むしろ、考えれば考えるほど、この国がどちらへ向かうべきか、答えが出なくなるからです。
かつて世界2位の経済大国だったこの国が、今や40位近くまで沈んでいく様を、私たちはこの30年間、目の当たりにしてきました。 私自身は、必死でグローバル化の波に乗ろうとあがき、なんとか生き延びてきました。しかし、手に入れたはずの「自由」は、どこか寒々しく、見かけの華やかさと引き換えに、人間的な関係性を犠牲にした上に成り立っていたのだと、今になって痛感します。
なぜ、私たちは豊かになるどころか、かつてあった「安心」さえ失ってしまったのか。これは現在60歳になり、バブル崩壊後の混乱から今日までを見てきた一人の人間としての、自戒と分析の記録です。
2位から40位への転落。「中道」という名の停滞
「日本的経営」を捨てた、私たちの世代の罪
私は現在60歳です。私が新入社員として社会に出たのは、ちょうどバブルが崩壊した頃でした。 私たちの親の世代は、「日本的経営」で世界と戦い、勝ち続けた世代です。終身雇用、年功序列、企業内組合。会社はまるで一つの大きな家族のようであり、その団結力が「Japan as No.1」を築き上げました。
しかし、バブル崩壊後の私たちは、それを否定することから始めました。「日本は遅れている」と自らを卑下し、親たちが築いた家族的な経営を「古い」「非効率だ」とかなぐり捨てたのです。 グローバルスタンダードに追いつけ追い越せ。私たちは必死になって、欧米流のドライな合理主義を取り入れようとしました。
企業は変わったが、政治は「真ん中」を選んだ
その結果、企業経営は確かに変わりました。家族的な温かさを切り捨て、効率と利益を最優先にするグローバル企業へと変貌を遂げました。私個人はその変化に適応し、自由の恩恵を享受することもできました。
しかし、社会全体で見るとどうでしょう。 企業が急激に舵を切る一方で、私たちが政治の場で選び続けてきたのは、常に「中道」でした。痛みを伴う急激な改革を恐れ、「ゆっくりとした規制緩和」でお茶を濁し続けてきたのです。
これが最大の誤算でした。 日本的経営(伝統)が持っていた「セーフティネットとしての安心感」は捨ててしまった。かといって、完全な自由競争(リベラル)がもたらすはずの「爆発的な成長」も得られていない。 今の日本は、伝統の良さも自由の良さも、両方とも取り損ねて「真ん中」のエアポケットに落ち込んでしまったのです。
迷いの中で、社会の「ベクトル」を問う
中道とは「モラトリアム」である
社会学的に見れば、社会が発展するためには強力なエネルギーが必要です。それは国民全員が右(伝統回帰)であれ、左(革新・自由化)であれ、一つの方向に一致団結してベクトルを合わせた時に初めて生まれます。
今の日本が陥っている「中道」は、バランスが取れているのではありません。どちらにも進めず、ただその場で足踏みをしている「停滞(モラトリアム)」の状態です。 「守ってもらえない不安(伝統の喪失)」と、「挑戦を阻む空気(自由の不徹底)」という、最悪の組み合わせ。そこからは何のパワーも生まれません。
あなた(そして私)は、本当はどう生きたいのか?
政治家たちは「改革」や「安心」を口にしますが、その言葉がどこか空虚に響くのは、彼らもまた「中道」の心地よさから抜け出せずにいるからではないでしょうか。 私がメイン記事で紹介した「5つの対立軸」は、私たちがどちらのベクトルに進むべきかを問い直すためのリストでもあります。
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自由 vs 安定: 失敗しても国や会社が助けてくれる「昭和的な安心感」に戻るのか、それとも自己責任を徹底して「完全な自由」を掴み取るのか?
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多様性 vs 一体感: 意見の対立を恐れず議論する社会か、それとも「阿吽の呼吸」で通じる一体感を取り戻す社会か?
結び:投票所に行くのか?行かないのか?
私たちが抱える閉塞感の正体は、「失ってしまった日本的経営」への未練と、「手に入らなかったグローバルな成功」への失望の板挟みです。 そして、その板挟みを作り出したのは、他ならぬ私たち自身が選び続けてきた「中道」という選択でした。
今回の選挙で、私がどの政党に投票するかはまだ決めていません。ただ一つ確かなのは、「なんとなく」で選ぶのはもうやめよう、ということです。 「日本的経営を捨てたことは失敗だった」と認めるなら、伝統への回帰を明確に謳う候補に入れるのも一つの見識でしょう。逆に、「中途半端こそが諸悪の根源だ」と断じて、痛みを伴う完全な自由化を選ぶのも一つの覚悟です。
一番いけないのは、「決めないこと」こそが安全策だと信じ込み、「真ん中」を漂い続けること。 私たちがすがりついてきた「中道」は、もはや安全地帯ではなく、茹でガエルの釜でした。かつて2位だった国を40位にした責任の一端は、どっちつかずのまま30年を過ごしてしまった、私たちの「現状維持」という名の麻薬にあります。
※注釈 本文中で述べている「中道を選んできた」という表現は、過去30年間にわたり国民が選択してきた政党(主には自民党)の政策スタンスを客観的事実として指したものであり、特定の政党、特に「中道改革連合」を指すものではありません。
親記事のご紹介:『自由・自己実現の不幸』と『自己決定の幸福論』
本コラムは、以下のメイン記事の補足として、筆者の視点から政治と社会の構造について綴ったものです。なぜ私たちがこれほど「自由」に疲れ、「自己責任」の重圧に苦しむのか。その構造的な「謎解き」は、ぜひこちらの本編をご覧ください。
現代の「多様性」や「自由」という美名の下で、私たちがなぜ息苦しさを感じるのか。その心理的・社会的な構造を解明したメイン記事がこちらです。

また、所得や学歴よりも「自分の人生を自分で決めている」という実感が幸福度を左右するという学術的根拠と、自己決定の領域を広げる実践法については、以下の記事で詳しく解説しています。

